2005/03/24

第9回 最終回 風の子のバリアフリー技術

 今から25年位前、私が風の子会に来はじめたころ、まだワープロもパソコンも世の中にはありませんでした。初めて風の子会に来たとき、太田さんが電動タイプライタで一所懸命打っているのをお手伝いしました。手が動きにくいので隣のキーを打ってしまったりして、「こんにちわ」と打つのに何日もかかっていたような気がします。和栗さんは同じく電動タイプライタで「タイプアート」というのを打っていました。人差し指でチョンチョンとキーを打って、いろいろな活字を使って絵を描くのです。
 そのとき、井出さん(いまの事務局長)が不思議なものを作っていました。長さ1メートルくらいの木でできたハシゴのようなものに電磁石がついていて、それを電動タイプライタの上において、電磁石でキーを打とう、というものだったのです。「風の子ハンド」という名前がつけられていました。息で押せるスイッチが別についていて、息を吹くと電磁石がキーボードの上をなぞっていきます。打ちたいキーのところでまた息を吹くとバチンと磁石が働いて、キーが押されて字が打てるのです。手が動かなくても一つか二つのスイッチさえ押せれば電動タイプライタが操作できたのです。スイッチはゴム風船にストローで息を吹き込んで膨らませ、マイクロスイッチを押すというものでした。そう、これはいま太田さんたちがパソコンで使っている、画面にキーボードを出して呼気スイッチで文字を選ぶ“ウイヴィック”という最新の支援技術と同じですね。「風の子ハンド」はおそらく日本でも最初のキーボード入力支援技術だったと思います。結果的には、打ちたいキーのところで電磁石を止めるのが難しい、構造が弱い、大きい、などの問題点があって、実用には至りませんでしたが、このような先駆的なバリアフリー技術が風の子で作られていたというのはすごいですね(特許をとっておけば井出さんは大金持ちになっていたかもしれませんね)。写真は、いまは亡き松沢宗広さんがその「風の子ハンド」の練習をしているところです。

 それから何年か経って、パソコンが入ってきました。今のウインドウズの前のMSDOSというパソコンでした。入力支援技術としてはいまと同じように、パソコン画面に表示されたキーボードをパソコンが自動的に文字をなぞっていき、スイッチで文字を選ぶと入力できる、というものがありました。しかし、パソコンのすべてのキー操作はできない、選びたい文字を逃してしまうともう一度そこまで文字がなぞられてくるまでじっと待っていなければならないなど、使いづらいところがいくつかありました。そこで今度は私が工夫をして、パソコンの全部のキーを使えるようにし、また打ちたい文字を逃してしまっても戻れるようにする機能を追加したものを作りました。太田さんはウインドウズパソコンに変えるまでずっと使ってくれていました。この機能はいま、日立や日本電気の入力支援技術に使われています(これも特許をとっておけば儲かったかもしれません)。
 井出さんと私は他にもいろいろなスイッチを工夫しました。たとえば故松沢宗広さんのために、サンバイザーのフレームを使って、口のところにスイッチを固定して舌で押せるものを作ったりしました。このように、風の子は多くの作業所、施設の中でも比較的早くパソコンを導入し、支援技術もいろいろ工夫してきました。風の子のパソコン利用やバリアフリー技術は、障害のある人のためのパソコン利用について書かれた書物にも、先駆的な例として紹介されたこともあります(浅野史郎編、高松・太田著「障害者の可能性を拡げるコンピュータ」中央法規、1990)。
 さて、去年の5月から連載させていただいたバリアフリー入門も、今回が最終回となります。バリアフリーに関してはお伝えしたいことがまだまだたくさんありますが、いったん筆を置かせていただき、またいつか機会を見てお話させていただければと思います。長い間お読みいただいて、本当にありがとうございました。いろいろご感想、ご意見をお寄せいただいた方々に、心からお礼申し上げます。(完)

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